2016年 07月 22日
重い
名言、珍言。
「重いものをみんな棄てると、風のように歩けそうです。」
高村 光太郎
物やしがらみを抱えてしまうと、
自然と足取りが重くなってしまうもの。
足取りが重くなったと感じたら、
生活を見直して整理してみることも必要です。
勝手な解釈
名誉、地位、金、富、貧乏の怖さ、不運、
すべてに拘ると、不幸が始まるものだ。
人は、時期がある。
富を得る時期、名誉を得る時期。
悪い事してしまう時期。
すべては、欲、思う心が欲が出ると、
その欲は、自分の運、支配するものだ。
欲は、消える時は、死が近いか、
試練、味わったことだろう。
思い、重い物は、捨てる時期は、
難しい。
浮浪者でも、物、得る努力している。
最後の死ぬ間際まで、物、欲が、捨てるか、捨てられないか。
難しい。
===============
名言、珍言。
「 伏すこと久しきは、飛ぶこと必ず高く、
聞くこと先なるは、謝することひとり早し。
これを知らば、もってそうとうの憂いを免るべく、
もって躁急の念を消すべし。」
(菜恨譚)
『菜恨譚(さいこんたん)』は中国の明の万暦年間(1573~1619)の人、
洪自誠(こうじせい)が残した随筆集である。前集と後集に分かれ、
前集では主として社会生活上の心得を説き、
後集では主として世を捨て風月を友とする楽しみについて述べている。
『菜恨譚』がわが国に伝えられたのは江戸中期以後のことである。
「菜恨」とは読んで字の如く、菜っ葉や大根のような粗食のことである。
宋代の大学者、朱熹があらわした「小学」には同じ宋代の学者、
汪信民の「常に菜恨を咬み得れば、百事なすべし」という言葉はひかれているが、
本書の書名はおそらくこれに依ったのであろう。
欲望を減じ、簡素な物質生活のなかで充実した人生を送ろうという主張が、
この書名にこめられているわけである。
しかしながら、肝心な著者・洪自誠については、
名を応明といい、号を還初道人といったというだけで、それ以外のことは一切わかっていない。
解説
(長い間うずくまって力を蓄えていた鳥は、
飛び立てば必ず高く舞い上がり、
いち早く開いた花はいちばん先にしおれてしまう。
この道理を心得ておけば、
途中でへたばる心配もなく、
あせって苦しむこともない)
【伏(ふく)する】する
1 かがむ。平伏する。身をかがめる。また、平伏させる。
「墓前に─・する」「臣下を─・する」
2 従う。屈伏する。また、従わせる。
【謝(しゃ)・する】する
あやまる。わびる。
感謝する。礼を言う。
【躁急そう‐きゅう、サウキフ】
いら立ちいそぐこと。せっかちに事を運ぼうとすること
勝手な解釈
難しい解釈。
解説と違うことかもしれない。
人は、謙虚な人間は、上に上がっても、謙虚を忘れない。
謙虚な心が、大切だ。
苦悩、試練があるとき、自分勝手に、行動すると、
失敗は、倍加して、直すこともできない。
謙虚な人間は、無知、馬鹿でも、
常に、人の教えを得て、苦悩になっても、
開ける道がある。
人を蹴落とし、人より、早く事をしても、
最後は、自分の才能がないから、
停滞して、崩壊していく。
謙虚な心があると、
自分の心、思考は、常に、自分勝手に事がない。
その時代に生きる知恵が、人から、教えて貰えるものだ。
無知、馬鹿でも、幸運があるのは、謙虚な心があるからだ。
釈迦も、キリストも、元々、人間で、初めは、無知なのかもしれない。
謙虚に、人を見て、体験して、学び。
生き方、経典にしていったのかもしれない。
「重いものをみんな棄てると、風のように歩けそうです。」
高村 光太郎
物やしがらみを抱えてしまうと、
自然と足取りが重くなってしまうもの。
足取りが重くなったと感じたら、
生活を見直して整理してみることも必要です。
勝手な解釈
名誉、地位、金、富、貧乏の怖さ、不運、
すべてに拘ると、不幸が始まるものだ。
人は、時期がある。
富を得る時期、名誉を得る時期。
悪い事してしまう時期。
すべては、欲、思う心が欲が出ると、
その欲は、自分の運、支配するものだ。
欲は、消える時は、死が近いか、
試練、味わったことだろう。
思い、重い物は、捨てる時期は、
難しい。
浮浪者でも、物、得る努力している。
最後の死ぬ間際まで、物、欲が、捨てるか、捨てられないか。
難しい。
===============
名言、珍言。
「 伏すこと久しきは、飛ぶこと必ず高く、
聞くこと先なるは、謝することひとり早し。
これを知らば、もってそうとうの憂いを免るべく、
もって躁急の念を消すべし。」
(菜恨譚)
『菜恨譚(さいこんたん)』は中国の明の万暦年間(1573~1619)の人、
洪自誠(こうじせい)が残した随筆集である。前集と後集に分かれ、
前集では主として社会生活上の心得を説き、
後集では主として世を捨て風月を友とする楽しみについて述べている。
『菜恨譚』がわが国に伝えられたのは江戸中期以後のことである。
「菜恨」とは読んで字の如く、菜っ葉や大根のような粗食のことである。
宋代の大学者、朱熹があらわした「小学」には同じ宋代の学者、
汪信民の「常に菜恨を咬み得れば、百事なすべし」という言葉はひかれているが、
本書の書名はおそらくこれに依ったのであろう。
欲望を減じ、簡素な物質生活のなかで充実した人生を送ろうという主張が、
この書名にこめられているわけである。
しかしながら、肝心な著者・洪自誠については、
名を応明といい、号を還初道人といったというだけで、それ以外のことは一切わかっていない。
解説
(長い間うずくまって力を蓄えていた鳥は、
飛び立てば必ず高く舞い上がり、
いち早く開いた花はいちばん先にしおれてしまう。
この道理を心得ておけば、
途中でへたばる心配もなく、
あせって苦しむこともない)
【伏(ふく)する】する
1 かがむ。平伏する。身をかがめる。また、平伏させる。
「墓前に─・する」「臣下を─・する」
2 従う。屈伏する。また、従わせる。
【謝(しゃ)・する】する
あやまる。わびる。
感謝する。礼を言う。
【躁急そう‐きゅう、サウキフ】
いら立ちいそぐこと。せっかちに事を運ぼうとすること
勝手な解釈
難しい解釈。
解説と違うことかもしれない。
人は、謙虚な人間は、上に上がっても、謙虚を忘れない。
謙虚な心が、大切だ。
苦悩、試練があるとき、自分勝手に、行動すると、
失敗は、倍加して、直すこともできない。
謙虚な人間は、無知、馬鹿でも、
常に、人の教えを得て、苦悩になっても、
開ける道がある。
人を蹴落とし、人より、早く事をしても、
最後は、自分の才能がないから、
停滞して、崩壊していく。
謙虚な心があると、
自分の心、思考は、常に、自分勝手に事がない。
その時代に生きる知恵が、人から、教えて貰えるものだ。
無知、馬鹿でも、幸運があるのは、謙虚な心があるからだ。
釈迦も、キリストも、元々、人間で、初めは、無知なのかもしれない。
謙虚に、人を見て、体験して、学び。
生き方、経典にしていったのかもしれない。
by 2nnn2
| 2016-07-22 04:27
| 名言、珍言