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四事の瓦版

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原因は、息子の教育が、元官僚が秘書か。無理なこと。

今日、無策な総理大臣作った原因は、何か。
生い立ちと、秘書の選定が悪いのだろう。
庶民の感覚がない。
これでは、変動の時期では、総理大臣は、無理だと、解る。
官僚の出身の秘書が、政策が出来ないものだ。
野党と会合も、伝もない。




「福田官邸の「不思議な父子鷹」
「跡取り息子で首相秘書官の「康夫評」が興味深い。
曰く「彼の心の奥は僕にも読みきれない……」
首相官邸5階では毎日、首相執務室と秘書官室の間を、180センチを優に超す長身の男が忙しそうに行き来している。首相・福田康夫の長男、政務担当秘書官の福田達夫(41)である。いずれは、祖父(元首相・福田赳夫、故人)が築き、父・康夫が守った衆院群馬4区の地盤を譲り受け、福田家3代目として政界入りする--。周囲から注がれる目線を全身で感じつつ、達夫は「総理の息子」として、支持率が下がり出した福田政権で何をすべきか、思い巡らす日々が続いている。

跡取り息子の達夫が、なかなか心を開こうとしない「孤高の人・康夫」の支えになっていることは間違いない。「策謀」「欺瞞」「裏切り」といった、どろどろした権力闘争が渦巻く永田町に常々、違和感を抱く康夫にしてみれば、官邸内に達夫以上に信頼の置ける者はないはずである。一方、達夫のほうも、わかりにくい康夫の深層心理を的確に読み取ることが「自らに課せられた重要な役割」と肝に銘じているようだ。

複雑な「康夫脳」の解読者
例えばこんなふうである。先の薬害C型肝炎訴訟をめぐる動きのなかで、昨年12月に一律救済で和解が成立する前、康夫が口を滑らせたことがあった。「原告団が満足するような解決策を示したいが、司法の判断も無視できない」。この物言いは原告や野党から批判を浴びただけでなく、与党内からも「冷たい」と不評だった。こうした際の達夫の「康夫評」は興味深い。

「彼(康夫)は理屈が情に勝っているときと、情が理屈に勝つときがある。今は理屈が勝ってしまっている」
こんなこともあった。やはり昨年の12月、宙に浮いた年金記録約5千万件のうち約4割が照合困難になった事態を受けて、野党側が「公約違反」と反発したのに対し、康夫は記者団にこう語った。「公約違反と言うほど大げさなものなのかどうか」
当然ながら、この発言は野党や世論の批判に油を注いだ。達夫はこう呟いた。

「公約と年金は別次元の問題だと言えばいいのに、脇の甘い答え方をしてしまったな」

首相の側近中の側近が、こうしたホンネを漏らすのは「よほどのとき」に限られるはずだが、実の息子である達夫はしばしば首相を客観的に分析しようとする。 

福田家をよく知る政界関係者は「あの父子は仕事以外の会話はほとんどしない」という。息子の達夫にしてみれば「同じDNAを持っているから、彼の考えは話さなくとも以心伝心でだいたいわかる」という思いもあろう。「表面的な物腰は柔らかいが本質的には神経質でキレると怖そう」。
そんなイメージの康夫ほどではないにせよ、達夫も「性格がまっすぐで、裏表がない。……陰謀を張り巡らせるようなタイプでもない」(参院議員の山本一太のブログから)などと評されている。「不器用な感じ」(山本ブログ)は、福田父子が共有する「強み」であり、「弱み」でもある。

目下、首相秘書官は政務の達夫のほかに事務の4人がいる。財務相から林信光(1980年入省)、外務省から石兼公博、経済産業省から菅原郁郎と、警察庁出身の栗生俊一(いずれも81年入省)だ。「年長の林が秘書官室の仕切り役」(官邸筋)というのは当然だが、そう言い切れない面がある。「総理の跡取り息子」である達夫が政務秘書官として、陣取っているからだ。「アカの他人の秘書官たちには複雑な『康夫脳』の構造は絶対にわからない。それを読み解くのは達夫君以外にあり得ない」(首相に近い国会議員)」


社会を知らない秘書が、野党と、業界と、庶民の事など、知らないものだ。
政策など、解らないのではないか。
財務相から林信光さんは、経済の状況を理解してないのではないか。
知らないのではないか、不景気の意味と、解決策。
総理の側近が、人脈、経済の才能がないと、総理も経済など知らないのだろう。
不景気、負債も打開策も知らないのではないか。



「達夫の長身は、母・貴代子の実家である「桜内の家系」によるものらしい。貴代子は元衆院議長・桜内義雄(故人)の姪で、衆院議員・太田誠一のいとこに当たる。達夫は慶応大卒業後、米ワシントンDCの有力研究機関であるジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)に留学。帰国後、三菱商事に入社。11年にわたるサラリーマン生活を経て、04年に官房長官となった康夫の「指示」により議員会館にある福田事務所の私設秘書となり、昨年の政権発足に伴い官邸入りした。17年間のサラリーマン生活を経て、父・赳夫の首相秘書官に転じた康夫の歩いた道をほぼ踏襲している。
跡取りゆえの苦悩が滲む
30年前に赳夫の首相秘書官となった康夫をよく知るベテラン記者は、
当時をこう振り返る。
「康夫さんは福田邸に戻ってくると、新聞記者を相手に政治の話より、
哲学めいた話を延々としていたな。不思議な雰囲気だった」」



昔の話は、今も変らない、政治の事、経済の事、知らないで、
秘書していたのだろう。
別の議員秘書で、苦労していると、人脈もあるのではないか。
全ては、前の福田赳夫さんが、子供を教育すること、しなかったのだろう。
他の議員の秘書で苦労しなかったことが、人脈も消えたのかもしれない。



「当時、達夫はまだ小学生だったが、
祖父の秘書官を務める父の姿をどう眺めていたのか。
福田家の跡取りゆえ、早くから観察と分析の対象であったとしてもおかしくない。達夫が開陳する康夫論は、時の政局論議より、よほど熱っぽい。曰く。「親父は『独善的』と見られがちだが、意外に人の言うことをよく聞いている」「人付き合いは下手だけど、実は心の芯はかなり温かい」

達夫にしてみれば、康夫の長所、持ち味が、世の中にうまく伝わらないのが悔しくてならないようだ。」




将来は、官僚を秘書にして、総理大臣になるというのが、福田家の家系なのかもしれない。
策は、全て、官僚が決める。
全ては、自分の経験がないから解らないというのは、今の不景気の原因かもしれない。

最後は、民主党の責任で、総理は、関係ないというのが、今日の会見なのかもしれない。
秘書が、元官僚で、世相に疎い秘書ならば、当然かもしれない。

誰が、総理にしたのか、その責任者の元官僚かもしれない。
by 2nnn2 | 2008-03-31 19:00 | 暇つぶし批判

暇な時の言葉


by 2nnn2