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四事の瓦版

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何をするか

名言、珍言。

「枠にとらわれず
私たちは仕事を進めていく際に、ともすれば自分で自分の枠を決めてしまってはいないか。
たとえば、ラジオのデザインにしても、
元来、デザインは固定したものではないのだから、
三角でも丸でもよいはずなのに、ほとんど箱型である。このことに限らず、
不思議なことに人間はみずから枠をつくり、
その中に入ってしまうという悪い傾向がある。
これも自己保身のための一つの行き方かもしれないが、
窮屈な枠の中で窮屈なものの考え方をしていては、心の働きも鈍くなり、
自由自在なよい知恵が出てくるものではない。
ものにはいろいろな見方がある。
時と場合に応じて自在に変えねばならない。
そこにこそ発展が生まれるのである。」


松下幸之助の一日一話

勝手な解釈
生き方も、死に方も、違う。
ソレと同じ、同じ人生などない。
日々の変化で、どうするかで、明日は、屍。
今日は、有頂天。
問題は、なにするか、それで、人生が決まる。
犯罪の走るのか、善に目覚めて、人を出すけるか。
自分が何をするか、出来ることは、枠に嵌めないように、
出来ることからする。
ソレが悪事ならば、最後は、処分される、神・仏から。
成功者の晩年の酷いのは、神の天罰。


===========-

名言、珍言。

「割高に売りなし、割安に買いなし」

相場格言

 相場が実力以上に値上がりしているのに売り物がなく、
その逆に値下がりしているのに買い物がない状況で、ただ割高、
割安だからといって仕掛けると思わぬ損失を蒙ることがある。
よく吟味してから行動したい。

勝手な解釈
川の流れのように、という歌ではないが、
流れている川を流れみないと、地獄に行く。
渡るの渡らないも、居場所で、海に流される。
人生は、流れである。
知らないのは、流れ知らないものは、消えていく。

考えると、あの世には、行ったとがないが、
三途の川があるらしい、三途の川の上流と、下流では、大違い。
渡しに乗らないと、行けない下流。
三途の川の河原に、剥ぎとり婆さんいて、身ぐるみ剥ぎ取り、秤にかけ、
罪があるか、判断して、渡し賃が必要だというが、
行って見てことがないから、解らない。
三途の川まで、四十九日は、かかるらしいから、
大量に死んだ時期、三途の川の渡しの地獄かもしれない。
三途の川の流れ、世の中の流れに、似ているのかもしれない。

よくよく、川の見ているのでなく、流れを知らないと、
難しいことだ、生きるも、死んで、三途の川に行くも。


「三途川の出典は『金光明経』1の「この経、よく地獄餓鬼畜生の諸河をして焦乾枯渇せしむ」である。この地獄・餓鬼・畜生を三途(三悪道)といい、これが広く三悪道を指して三途川と称する典拠であるといわれる。しかしながら俗に言うところは『地蔵菩薩発心因縁十王経』(略称:地蔵十王経)の「葬頭河曲。於初江辺官聴相連承所渡。前大河。即是葬頭。見渡亡人名奈河津。所渡有三。一山水瀬。二江深淵。三有橋渡」に基づいて行われた十王信仰(閻魔大王は十王のうちの1人)による。
この十王経は中国で成立した経典であり、この経典の日本への渡来は飛鳥時代と思われるが、信仰として広まったのは平安時代末期とされる。正式には「葬頭河」といい、また「三途の川」・「三途河」(しょうずか、正塚)・「三瀬川」・「渡り川」などとも呼ばれる。
一説には、俗に三途川の名の由来は、初期には「渡河方法に三種類あったため」であるともいわれる。これは善人は金銀七宝で作られた橋を渡り、軽い罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、重い罪人は強深瀬あるいは江深淵と呼ばれる難所を渡る、とされていた。」

三途の川は、平安時代からあるのかしれない、
あの世に行くと、分かるかもしれない。
by 2nnn2 | 2016-01-13 03:38 | 名言、珍言

暇な時の言葉


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