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四事の瓦版

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アイデア、謙虚、反省、参考書

名言、珍言。


「Q:良いトレードの条件は何ですか?
スタインハルト:
良いトレードとは、自分のアイデアを追い続けていく信念と、
間違いを認める柔軟性の間の絶妙なバランスで成り立っているのです。
何かを信じる必要があるけれども、同時に多くの間違いを犯すのです。
反対側で売買している人間にも見通しがあるはずです。
なぜ彼は売るのだろう。 自分の知らない何を知っているのだろう。
常にそう自問するのです。 」


(『マーケットの魔術師 - 米トップトレーダーが語る成功の秘訣』
 第二章「株式トレーダー マイケル・スタインハルト」 より)


勝手な解釈
成功するもの、失敗するもの、
チャンスは、必ずあるが、心得が、間違えると、破滅する。
アイデアは、才能であり、勉強しても、東大出記憶する人では、
できない。
間違い、認める謙虚さ。
他の成功者の分析の参考書。
自分の分野以外の人に、師と仰ぐことである。

今の内閣は、その名言と反対にしている。
権力得ると今まで、支援した人を裏切り、反逆者にして、
尖閣問題は、他に任せ、最後は、司法の責任。
東日本大震災の天変地異の酷い対応、原発の対応。
すべては、軽率な、行動と、判断ミス。

地方選挙でも、敗北しても、他人事のように、生きている政党。
無能な人、馬鹿な人でも、普通は、反省する。
その度に賢くなるが、だんだん、権力にいると、居座ることしかない。
ただで、飯が食える職は、総理大臣なのだろう。

私邸、高級料理屋で、焼肉、寿司を食べて、三万以上のコースを食べている生活は、
忘れなれない生活なのだろう。
数人でいくた、数十万。
こんなただ飯は、いい職である。


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名言、珍言。


「時間を最も有効に利用した者に、最も立派な仕事ができる。」
                              

嘉納治五郎


講道館柔道の創始者であり、
教育界・スポーツ界で多くの要職をつとめた
嘉納治五郎は、仕事をこなすために時間の使い方を工夫した。

この言葉は彼が身をもって示した人生の信条である。

(1860~1938 明治~昭和時代の教育家)

勝手な解釈
時間は、正しく使うか、怠慢の時間か。
それが、人生の無駄な時間になるか、足りない時間になるか。
何もしないものは、時間の効果を知らない。
地震ても、津波でも、一ヶ月あれば、もう、復帰するものだ。



いつまでも、避難所で、暮らせない。
江戸時代は、地震、大火も、あった。
それでも、、江戸は、復興した。
一番面白い話は、江戸城の天守閣が、燃えたとき、
江戸の復興するとき、天守閣が、最初と、思うきや、
同時の老中は、江戸の庶民の復興のが先と、天守閣を再建しなかった。
今の内閣より、偉い、徳川幕府である。
将軍も、老中も、役人も、庶民も、商人も、江戸の復興が、最優先である。
江戸時代は、庶民は、いい暮らしかもしれない。
平成時代より。


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「保科 正之(ほしな まさゆき)は、江戸時代の大名。
会津松平家初代、陸奥会津藩初代藩主。
江戸幕府第3代将軍徳川家光の異母弟で、
家光と4代将軍家綱を補佐し、幕閣に重きをなした。

家光の死後その遺命により、甥の第4代将軍・家綱の補佐役(大政参与)として幕閣の重きをなし、
文治政治を推し進めた。末期養子の禁を緩和し各藩のお家断絶を緩和。
会津藩で既に実施していた先君への殉死の禁止を幕府の制度とした。
大名証人制度の廃止を政策として打ち出した。
玉川上水を開削し江戸市民の飲用水の安定供給に貢献した。

明暦3年(1657年)の明暦の大火後、焼け出された庶民を救済した。
主要道の道幅を6間(10.9m)から9間(16.4m)に拡幅した。
火除け空き地として上野に広小路を設置し、芝と浅草に新堀を開削、神田川の拡張などに取り組み、江戸の防災性を向上させた。
また、焼け落ちた江戸城天守の再建について、天守は実用的な意味があまりなく単に遠くを見るだけのものであり、無駄な出費は避けるべきと主張した。
そのため江戸城天守は再建されず、以後、江戸城天守台が天守を戴くことはなかった。

この時代の幕閣(正之の他、酒井忠勝、松平信綱、阿部忠秋など)全般に言えることではあるが、幕政において400万両超の蓄財を背景にして福祉政策・災害救済対策・都市整備などに多くの支出を差し向けたが、それがために幕府は急速に財政難へと陥っていった。正之の死後、第5代将軍となった綱吉により荻原重秀の登用など財政の再建策が講じられた。」
by 2nnn2 | 2011-04-11 04:06 | 名言、珍言

暇な時の言葉


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